2018年9月19日水曜日

オーディオにおける、性能としての情報について

オーディオの技術の歴史は、原音に近づくために、情報をいかにして増やしていくかといった考えに基づいて進歩してきたのではないかと思えるのです。

蓄音機、テープ、LPレコード、デジタル媒体・・・その情報は当然の如く、正確性が問われ、出鱈目であってよいはずはなく、伝送系においても同様であるわけです。

しかし媒体化された情報には、欠落や付加、作品としての積極的な加工もあり、生音とは違う様々なオーディオ媒体が存在します。

簡単で身近な例を一つ挙げると、ハンディPCMレコーダーの内蔵マイクで生音を収録すると、大抵の場合、生音に対して何かしら変形された音で媒体化されます。

そのような媒体をも再生する行為がオーディオであるが為に、生音と同じ音で再生することが必ずしも正確な再生とはならない場合もあるという、一見矛盾したようなややこしさがあります。

上記の事柄からも、媒体の正確な音は雲をつかむようでもあり、それ故オーディオマニアは個々の経験と感性、嗜好を基軸とした独自の音を構築します。

このように、情報伝達のいかんにかかわらず(正しい情報が流れていたとしても)、受け手の基準で最終的な音が決まります(もちろん個人の自由です)。

オーディオにおける情報の基本的理念は、正確性とその量にあり、この2つが高次で揃ってこそ高性能といえると私は考えています。

私の考えるこの情報の基本的理念は、媒体を正しく再生する方向でシステムを構築するという考えに直結するものとなっています。

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