若いころは今より聴力が優れていました。
あの頃は聴力まかせで全ての音を聴き取ろうとするだけで、それは力まかせで基本を蔑ろにして、技の習得を怠ったような状態でした。
年齢に見合った平均的な聴力しか持ち合わせていない私が、もし聴くという行為に対する意識と、理解したいという欲求を抱かなければ、文字通り生涯半人前のままで、しかもその真実にも気付けずに、聞こえの悪くなった耳で音を知ったかぶって語ることになったことでしょう。
昔、聴力まかせで聴いていた時分に、「音色と音質を分けて聴けますか?」と私自身が問われたわけです。
その答えは生録先生が教えてくれました。
まだ気付けていない事もあるとは思いますが、それは聴力の劣化で既に聴き取れない部分になってしまっている可能性もあります。現象を聴感で捉える事が出来なければ理解も難しいでしょう。再生音を聴くことの意識と理解は聴力と深く係わっていますから。
ところでこのまま老化が進んみ、はたして年老いた耳で音に対して真っ当な評価を下せるものでしょうか?
だから今のうちに可能な限り技を磨いて、自分自身で試してみようと思います。
ただの興味本位ですけど。
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