2022年8月12日金曜日

自分では気付けない他人の耳との大きな隔たり

 オーディオで一番大切なスキルは”聴く”能力ですが、聴覚はその時々の体調でも変化しますし、加齢により衰えもします。

聴力の衰え具合を自覚するには定期的に聴力検査を受けるのが一番かと思いますが、他の方法としては日頃から耳の状態を確認するためのバロメーターを設けておくのも一つの手かと思います。私の場合、バロメーターは川の音とかですが、最近では数年前と比べて繊細な音がかなり聞こえ難くなってきました。

聴力の衰えに関して多少なりとも本人の自覚があれば、自己のオーディオの音に対する他人からのネガティブな指摘にも耳を傾けますが、自覚がない場合は気持ちが反発して指摘に対する考察すら難しいでしょう。ネガティブ指摘する側は、その行為自体が相手に嫌悪感を抱かれる可能性を重々承知していますので、なかなか言えないものです。

このような背景事情の中、耳の劣化を自覚することなくオーディオを続けていくと、自分の音に対する聴こえ他人の聴こえとに大きな隔たりが生まれることがあります。各人の聴覚は他人とは共有できませんが、音の印象を述べたりした際に、それは顕在化してきます。

ついでに言うと、耳の衰えと同様に偏った聴き方に慣れてしまっている場合も同じことが起きます。

例えば付帯音が暴れまくっている音を”生きがいい”と感じ取って、そこに基準を置いてしまったことで、付帯音の無いまともな音に難癖をつけたりする事はよくあります(偏った聴き方の場合は、音の聴き方を学ぶことでニュートラルな状態に戻せますから安心してください。)

そんな事態になる前に、音の聴き方を学ぶ必要があります。

それと、ここが一番大事かもしれませんが、信頼できる音聴き役を持つことです。

正しい音の基準を持ち、おかしな音をちゃんと教えてくれる仲間がいるというのは心強いものです。

しかしほとんどのオーディオ繫がりの大人の付き合い方の場合、再生音に対するコメントは、まずは褒めて、ネガティブなことは当たり障りなくオブラートに包みこんでマイルド指摘に留まり、重大な欠点には触れずにやり過ごし、できるだけ不快感を与えないように配慮します。これは至って常識的なことです。だからこそ、本当の事を知る手立てとして、自分自身で音聴きのスキルを磨く必要が出てくるんです。

余談になりますが、徹音さんが私に信頼を置いてくださるのは、まず音をニュートラルな感覚で聴けること、それと指摘に遠慮がないところかと推測します。でもこれって、誰に対しても通用することじゃありません。どうしても受けての器量とか覚悟に依存する割合が多くなるからです。普通は嫌われます(爆)。

音がまともに聴けていない状態に気付けないで放置していると、その先にあるのは、恥をさらし続けても誰も教えてくれない、イヤむしろ社交辞令で”イイネ!イイネ!”とさらし者にされた”裸の王様”の姿かもしれません(怖)。

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