2017年11月14日火曜日

究極の趣味について

オーディオの本質は、正確な情報伝達だと考えています。

音や音楽を受け取る側の個人的な感想や評価にも、この正確な伝達が必要不可欠です。

さて、先の日記でのNOKKOさんのコメントの、音楽を私たち作り手と同じようにモニターヘッドホンで聴いていただけるなら、ある意味でそれは究極の趣味と言えますね。
についてですが、このコメントからは製作者サイドの意図を伝えたいという願いが感じ取れます。

そしてその意図を受け取るためには製作者サイドと同じ機材を揃える必要があるので、”究極の趣味”と表現したのでしょう。

ただ現実問題として、幾つあるのかさえ分からないスタジオの音、また機材を揃えることなど不可能に近いことです。

では、受け手であるユーザー側としては、何を何処まで実現可能なのでしょうか?

元データの原音再生などサッサと諦めて、嗜好の音を追い求めることしかできないのでしょうか?

私の答えは以前から書いているように、媒体のデータ(デジタル)を正しく再生するという選択肢もあるというものです。

この場合、製作者側の意図する音ではない音が出てくるケースも当然考えられます。
これは時代の古い録音もあれば、最近流行り(?)の宅録された媒体など、媒体にも様々あるからです。
これらのケースでは、製作者側の意図する音の正確な伝達からは外れてしまうことも多いので、媒体を介しての音楽的評価は難しくなります。ただし媒体データとしての本来の音に関しては、正確に伝わるということになります。

このように、正確な再生を優先した結果、製作者サイドの意図した音と異なる場合は致し方ないと割り切っています(究極の趣味は資金的にも無理がありますから・・・)。

”だったら嗜好の音を求める”という意見には、趣味としては大賛成です。しかし、”だからHi-Fiを諦める”というのはもったいないと思います。

せっかくハイレゾ時代になってきたのですから・・。

特にオーディオを引率する使命を持つ雑誌関係者には、そのことを強く認識してもらいたいと思います。

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