2018年4月2日月曜日

音楽芸術家はオーディオマニアがお嫌い?

一つの例・・・としてだが、
随分前に、世界的指揮者の小澤征爾氏の、オーディオマニアに対する話を小耳に挟んだことがある。そしてそれは、当時オーディオマニアだった私の耳には痛い話だったと記憶している。

私はオーディオマニア側にいたから、マニアの気持ちや求める音はある程度理解できるが、世界的指揮者の・・となると、明らかに理解不足だ。

録音エンジニアの話は幾度どなくこのブログにも載せていて、そこに共通するのは、正しい音で聴いてほしいという願いで、それは私自身が生録音をするようになったことで、尤もな話だと、素直に頷くことができた。

小澤征爾氏に限定する話ではなく、音楽芸術家と録音エンジニアは、音楽制作にたずさわる側に居て、互いの意思の疎通を行い吟味したうえで完成させた媒体作品と考えると、やはり音楽芸術家のオーディオに対する考え方も、録音エンジニアと同意見であろうか???

だとすれば、好き勝手な音で聴いて、音楽(録音も)評論も言いたい放題のマニアがいれば、音楽芸術家からも、録音エンジニアからも、歓迎ムードというわけにはいかないか・・?

これを一般的なおおよその傾向と見ていいものかどうか・・・音楽芸術家の中にもオーディオマニアはいるだろうし・・どうなんだか?

私個人の考えは、何だかんだ言っても、ぶっちゃけ音なんて自分の好きなように聴けばいいし、何をどう感じるかも個人の自由だと思っている。

ただしそこには私なりの線引きがあって、嗜好の音の延長線上での音楽作品の評論はしないと決めている。
(自分がどう刺激を受けたのかといった感想程度は書けるが、芸術の評論となると難しくて手に負えない・・これが本音だけど・・汗。)

機器類の評価に関しても、本質が聴き取りづらいから信憑性が疑わしくなる。だから精々そこで起きた現象としての音の印象までとしている・・・つもりだ

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