音は”音色”という言葉に集約される
(独断的定義)
一般論としての音色の定義ではなく、オーディオにおける再生音を対象とした独断的定義であるため、掲載前に徹音氏に監修を依頼しました。この場を借りてお礼申し上げます。
オーディオにおける・・・
正しい音色という言葉の中には、振動板の余分な動きから生まれる付帯音や、立ち上がりの遅れで再現できない音等の過不足が起きないよう、正しいトランジェントが必然的に含まれている。
正しい音色という言葉の中には、余韻などの微小信号から最大音までのダイナミックレンジの正しい広さが必然的に含まれている。
正しい音色という言葉の中には、最小音から最大音まで聴き取れる範囲の音量が必然的に含まれている。
(正しい音色という言葉の中には、正しい分解能を伴った正しい情報量が必然的に含まれている。)
つまり正しい音色の再現には、音を構成する全ての要素が高レベルで含まれていることに他ならない。
正しいF特性、正しいトランジェント、正しいダイナミックレンジ、正しい音量、正しい音質が単独で正しいだけでは、正しい音にはならないが、正しい音色といえば必然的に全ての要素が正しいことになり、つまりは正しい音となる。
・・・で、何が何だか・・つまり・・・
音色とは音そのものなのであるが、物理現象としての音を人が聞いたとき、人の感覚(聴覚に加え、触覚、視覚をイメージさせる)が加わった音のことである。この感覚は、ある程度の共通性を伴い、○△な音色とか、音色が◇□などと表現される。
音を分析的に聴くというのは、正しい音色に対して過不足な要素を聴き取り判断する行為となる。
音色の定義や表現がややこしいのは、○○と重複した言葉が多々使われることや、オーディオが再生音であるがゆえの、生音にはない○○という要素を含んでいるからである。
~おしまい~
”あとがき”につづく・・・
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