2019年3月16日土曜日

再生音の考え方 2
・・ はじめに・・
~私にできることは聴くことだけ~

私には、超一流オーディオメーカーの製品を超える機器類を自作することなどできません。音楽芸術もよく分かりません。たぶん私にできる事は、ただ”音”を”聴く”ことだけだと思うのです。

そこで一つの疑問にぶつかりました。
はたして”聴く”ことは、超一流の音聴きのプロに対して、どの程度まで迫れるのか?肩を並べられるのか?超えられるのか?


聴くという行為に関して、音聴きのプロ、例えば生音を相手にする録音エンジニア、オーディオメーカーの音合わせマイスター(サウンド・マイスターなど呼び名はいろいろ)の人達と比較して、何か違いや差があるのでしょうか?

聴力・脳力・経験値・・・確かに違いや差がないとは申しませんが、一番の勘所は再生音に対する考え方なのです。これは私が生録音の経験から学び得た再生音の考え方と、プロの人たちの考え方とが合致した事実から導き出した答えの一つです。


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生録音の経験を通して得た知識は、思いのほか再生音の聴き方の真髄に近づき、聴くという行為こそが、音そのもの魅力を知るうえで最も重要なスキルであることに気付かせてくれました。
そして、そもそも音が好きという原点の延長線上にはきっと、音を奏でる者、音楽を作りあげた者への理解へと繋がる道筋があると、漠然としながらも確信に満ちた思いがあるのです。これが思い上がりと言われようとも、自分自身で納得できればその時点では良しとして、後(のち)の自分の成長に伴う新たな発見に期待すればこそなのです。

音が普通に聞こえることの、ありがたさ。普段はあまり意識もしません。しかし現実は残酷で、加齢とともに耳の感度は劣化の一途をたどります。耳の寿命が尽きるその前に出来ることがあるとすれば、それは音の聴き方を学ぶことだと思います。
その為に、音の聴き方に直結した再生音の考え方を、私なりに考察していきたいと思います。

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