2019年3月26日火曜日

再生音の考え方 2
~あとがき~

聞くという行為に関しては、生まれてからこの方、既に皆が経験者であり、特にオーディオマニアに至っては、再生音の違いが分かるからこそオーディオの音に興味を持ったのでしょうから、生来耳はいいはずなのです。


毎日のように長時間大音量にさらされるような環境下にさえ居なければ、聴くこと自体のアドバンテージは、プロ(素人から見れば、音を商売にしている人達全般をプロと認識します)よりむしろ素人の方にあるのではないか?とさえ思います(超一流のプロは、そもそも特殊能力というアドバンテージを持っているので除きます。また、個人差や年齢的な限界もあります)。
要はそのアドバンテージを、素人は上手く生かせないのです。その原因が、再生音の考え方にあるのではないかと推測しました。

とは言え・・・
加齢などで耳が悪くなったら、再生音の考え方とか、聴き方とか、そんな事ど~でもよくなると思います。正しい音を聴いたところで、楽しめるはずもありませんから。
そうなれば好きな音で、自分が幸せになれる音で聴けばいいと思います。いや、もうそれしかありません。

私の耳も、まだ音の違いは分かっても、評価となると厳しい感じがします。高音域の微粒子が聴き取り難くなってきましたし、音場も以前よりやや狭く感じます。再生音に余分な響きを追加したくなるのも時間の問題かと思います。しかしそれは正攻法ではない音作りと心得ています。
心得ているので、そのように手を加えた音を正当化などしません。ただ自分の耳の感度に合わせた結果の音でしかないと分かっているからです。

耳の限界を知れば、自分の好きな音を他人に好きになってもらう必要などないと、抵抗なく思えるようになります。ほとんどの年寄りは、たいてい耳が悪いのですから気にすることはありません。

目的は自分自身の幸せです。
自分には自分の幸せの音があり、他人には他人の幸せの音があるということです。

自分の音に対して不安があるとすれば、それは現在地や、進むべき方向が分からないからではないでしょうか?

正しい音を知り、自分の耳の状態も把握していれば、本来の王道も、現在地から自分が開拓すべき道も、明るく照らすことができるのですから。

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