2019年9月20日金曜日

再生音の中の他者

生録音を行うと、再生音に対する考え方に変革が起きます。

自然界の音や音楽の生演奏、またオーディオの再生音にしても、それを人が聴くという行為自体には変わりはないのですが、生音と再生音とでは物理特性以外にも、聴き手の意識に違いがあることに気付かされます。




この意識の違いとは、他者の存在に対する認知の度合いとでも言いましょうか。

そもそも鑑賞行為とは、まず最初に他者の存在を認知するところから始まります。

生音の鑑賞の場合、他者の認知は比較的容易です。一方、媒体再生では他者の確認が曖昧になり、結果として認知が希薄になりやすいのです。
理由は単純明快で、一般ユーザーは媒体化される前の生音も知らなければ、どのように録ったのかも、調整したのかも分かりません。つまり媒体の中に存在する他者の姿がハッキリしない為、他者を意識する手立てとしては、自らの経験に基づく想像に留まるしかないからです。

再生オンリーの、つまり音の出口側だけに立っていた人が、いざ生録音で音の入り口に立たされると音の入り口に立った今、何が見える?』との問いかけを自動的に受けることになります。

当たり前ですが、それは録音の対象となる、物や他者です。

つまりオーディオの音合わせを目的とした生録音という行為は、自分以外の存在に意識を向けるということに他ならないのです。(自録りには問題があります)

昔の私の場合ですが、自分の好きな音で聴いていた時分も、録音の向こう側に行きたいと願っていたくらいですから、他者の存在を意識していたのは間違いないのですが、今にして思えば嗜好の音からは逃れられず、想像の域も越えられない為に、認知の正確性が低く、度合いも結局は希薄で、ただ独りよがりに突っ走っていただけでした。

この気付きは私にとって大きな変革でした。

生録音を始める前の私は結局のところ、自分の好きな音で音楽を聴きたいとだけ考えていたと言われても仕方のない状態でした。それはあたかも自分の好みを色濃く再生音に反映させることで、自分の存在意義を確かめ、自分の音に価値を見出そうとしていたのだと思います。

もちろん趣味のオーディオには、そのような価値観があっていいはずです。
自分の好きな音で聴いて、自分さえ幸せになれればそれでいいというのが趣味のオーディオでもあるので、自分の音への他者の介入など迷惑なだけだと言い切っても批判される筋合はありません。個人の趣味の範囲でやればいいんですから。(誤解のないように書いておきますが、以前から何度も言っているように、新たな価値観が生まれ、正しい音という選択肢が増えただけのことです。)

正しい音という選択肢が加わる過程において生録先生から突き付けられた問いの答えを導くために考えねばなりませんでした。


自分が大切なのは当然・・
では他者はどうなんだ?


自分の嗜好の音には、
他者が尊厳をもって存在できているのか??


正しい音の必要性を痛烈に感じた根本理由が、これです。

生録音を通して、確実に存在する他者に意識が向いたことで、録音の対象である他者の存在こそが、正しい再生音のカギを握るのだと直感しました



では、新たな価値観である正しい音の再生装置の理想とは?当然嗜好の音とは別な角度から考える必要が出てきました。

結論を簡単に言うと、機器やケーブル類に強い個性を持たない、オーソドックスでハイクオリティな再生装置となります。
そのような考えのもと機器を選ぶわけですが、今度は肝心な音の聴き方を学ぶ必要がありました。

そうです、全ては繋がっているのです。

4 件のコメント:

  1. KO球さん!こんにちは。いつも拝見させて頂いてます。私もたまにPCMレコーダーにマイクをつけて録音いたします。私自身フルートを吹くので市販のフルートCDの演奏を聴き、その実在感の無い、霞どころか厚い雲がかかっているような音が実に多いのです。いつも落胆します。それゆえ友人のプロフルーティストとかに録音させて頂いて、どうしたら実在感のある音が録れるか試行錯誤しております。面白いものでフルートやピアノの音は録音すると実在感が薄れますがバイオリンなどの弦はかなり巧く録れるのです。理由はわかりません。私は実在感のある音はフォーマット(ハイレゾ等)には関係ないのではと思ってます。16Bit 44.1KHzのCDフォーマットでも録音機器とマイクの間は短距離に、できるだけ介在物を入れないのが大切と思ってます(それだけでは無いのはKO球さんのホームページで重々わかります)。でも一番の問題はCDなりを発売してる演奏者自身の問題(もちろん配信メーカーの録音エンジニアの問題も含め)も否めません。有名なフルーティストの練習部屋に行きましたら、CD視聴にミニコンポレベルの再生機材でした。高ければ良いとは決して思いませんが、これでは市販のCDに実在感を期待する。。膨大な資金をつぎ込み再生機器をグレードアップすることに虚無感を持つのです。本当はプロの素晴らしい演奏を実在感のある音で聴きたいだけなんですが???

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    1. コメントありがとうございます。

      生録音・・・なかなか思い描いた音では録れないものですよね。
      やはりそこが生録音体験者が皆同じように悩み考え込むところかなと思います。

      同時に生録音後のデータの正確な音を聴くことも、共通した問題かと思います。

      このブログにも、上記の件に関する事は書いていますが、私自身、未だ道半ばで、録再の進歩は、新たな気付きを生むと同時に壁にもなってしまうような状態です。


      フルートの録音も難しそうですね。
      至近距離で録音するのでしょうか?それとも音場も含めるのでしょうか?


      私は、至近距離で録音した音源、例えばオルゴールの録音などは、片Chだけで再生して聴いたりします。至近距離で音場もほとんどないし、そもそもの音源は一つですしね(笑)。



      コメントに出てくるプロの演奏者のオーディオ機器に関しては、気にする必要はないと思います。

      演奏者自身が再生音に無頓着では音のイイ音源が作れないと危惧してしまうのですが、一概にそうとも限らないようなので・・・。

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  2. Ko球さん、ご返信ありがとうございます。まず、フルートは至近距離で録ってるか音場を含めて録ってるかですが、一応音場を含めるために3mほど離れて録ってます。至近距離ですと、音場感が出ないので、、ちなみにスピーカーはKo球さんも良くご存知のスーパーフラミンゴなんです。私としては”壁や反射や全てを含め演奏者がそこに立って演奏をしてくれてる”ステレオ再生したいだけなのですが??それが至難の業なんですよね。皆様にとっても。それからKo球さんにご指摘いただきました演奏家のオーディオ機器へのこだわりは確かに実在感に関係ないかもしれませんね。ただ、私もフルートを吹くのでフルート界のマエストロ、加藤元章さんがより良い録音のために長岡さんにモアイを依頼したことを知って音楽家でも自身の演奏の細部にこだわり伝えたいという意欲をもった人が一握りでもいることに喜びを感じました。
    極限までのフォルテからピアノまでの演奏をして伝える画ために、それを録音して再生させてあげることが聴く側の使命
    であり喜びのように感じます。難しいですね。(笑い)

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    1. 加藤氏の話は私も記憶しています。

      おっしゃる通り、「演奏の細部にこだわり伝えたい」という気持ちで収録された音源が存在していることは、うれしいことですね。

      その”こだわり”部分も、演奏者によって違いがあるのでしょうね。
      楽器奏者自身の一番の拘り所が、音場感なのか実在感なのか、音色なのか、はたまたそれ以外の何かかもしれず、拘りの違いは収録方法やマスタリングにも関わってくるでしょうし、それに再生側の音の拘りも加わると、一層ややこしいことになってきそうです。

      そのような実情を踏まえて、自分の求める音源(市販)を探し出して再生させる楽しみもオーディオにはありますし、市販音源にないなら、自分で生録音してしまえというのも一つの手だと思います。でもこれがまたとんでもなく難しい(苦笑)。

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